今年は山あげ祭がコロナの影響で中止となり、その姿を見ることはできませんが、ぜひ一度は金棒引きを先頭に屋台が移動してきて山があれよあれよと言う間に組み立てられる姿を御覧いただきたいと思います。
月別アーカイブ: 2020年6月
金棒をもって進む金棒曳(写真:2011年7月21日宵祭)
屋台の露払いを務める金棒引きは、親御さんにとって、「うちの子どもをぜひ金棒引きにしてほしい」と人気のあるポジションです。
屋台の巡航には必ずついてまわるので、当番町以外でも屋台をだせば必ず金棒引きが必要になりますが、それはそれ、6年に1度の当番町の年の金棒引きとなれば、親御さんも必死になります。
大屋台の組立(写真:2011年6月26日)
大屋台は山あげ会館に展示してありますが、山あげ祭の前に組み直しを行う場合があります。屋台の組み立ても一つの伝統文化として継承されているものだからです。当番町によっては、組み立てを1からビデオ撮影し、次の当番のときに記録として役立てているところもあります。
山の制作(写真:山あげ祭2011年6月4日)
山あげ祭の準備は追儺祭のあとから始まります。竹で組んだ網代を制作し、和紙を貼るという工程を若衆さんたちは、毎日繰り返します。
この年の仲町の世帯数は52戸で、6町内でも最小の世帯数となっています。
山あげ祭が開催できるのかと心配されましたが、仲町自治会、若衆団、それぞれが伝統を受け継ぐべく尽力した結果、無事、山あげ祭の開催へとこぎつけました。
お注連建(写真:山あげ祭2011年7月1日)
7月1日の朝、八雲神社の鳥居に注連縄が立ちます。いよいよ山あげ祭が始まるという合図です。
この年は東日本大震災が3月11日に発生し、お祭りができるのかどうか危ぶまれた年でしたが、仲町若集団の皆様のご尽力で無事山あげ祭が開催されることとなりました。
7月1日早朝、お祭り月の始まり(写真:八雲神社鳥居前)
7月1日の朝、八雲神社鳥居前に当番町のみなさんが集合します。
ここからお注連連立式、報告祭と、若衆さんたちの手によって山あげ祭本番へ向けて着々と神事が執り行われていきます。
2011年仲町集合写真
2011年山あげ祭 主要参加者一覧
金棒曳 島崎華乃、佐藤来海、阿相瑠華、網中彰子、金井悠奈
木 頭 小堀直亮
副木頭 ウィリアム・バーグ
舞台主任 ウィリアム・バーグ
御拝主任 佐藤達也
座敷主任 佐藤久夫 副主任 岡田洋明
波橋主任 岡田豊実 副主任 丸山諒太
前山雲主任 伊藤了
館主任 阿相政敏
滝山主任 杉山昌弘
大山主任 森一好
世話人 島崎健一、岡田哲一、山内崇、蛭川晶友
自治会三役 青木一夫、海老沢祐一、小堀重光
仲町屋台
御拝飾り 「須佐之男命稲田姫を助けて八岐大蛇退治」
制 作 明治37年(1904年)
彫刻師 小林平衛門(茨城県常陸大宮市鷲子)
塗 師 福村雅光等
2017年の山あげ祭ユネスコ登録記念パレードの動画を古川靖史様がYoutubeに公開されていますので、映像でお楽しみください。
山あげ祭の屋台と子どもたち
子どもたちにとっても山あげ祭は楽しみなお祭りです。
屋台を引く子どもたちの姿を見ると、未来の山あげ祭への期待感が湧き上がってきます。人口約25000人の那須烏山市で山あげ祭を後世に残していくことは、難しいことなのかもしれません。若者は進学を機に地元を離れるとなかなか戻ってきません。那須烏山市にも人口減少の波が押し寄せています。
今回、文化未来塾・山あげ研究所の遺産を公開させていただくにあたって、掲載させていただく、仲町も人口減少でわずか50戸足らずの家しかありません。
その中で、山あげ祭を維持していくためにはたくさんのお手伝いの方のお力が必要になっています。今後の山あげ祭から、仲町の名を消してはいけないと皆さん尽力していらっしゃいます。
山あげ祭「関の扉」
笠抜で必ず上演される「関の扉」ですが、JR烏山線の終電の関係もあり、観光客の方がご覧になる機会はほとんどないのではないでしょか。
常磐津の名曲であり、歌舞伎座でも度々上演されています。
Youtubeに4Kでアップされている方がいらっしゃいますので、ご紹介させていただきます。
2012年の泉町当番の時の音源がありますので、お楽しみください。