昭和8年の「祭典の思ひ出」第2話

昭和8年の仲町の山あげ祭り当番において懸案であったのは、
「屋台囃し子方招聘問題と『山』揮毫の件とに付て紛糾」(原文ママ)
であった。
「向田村田澤眞壽翁との交渉が円満和解に至らずして決裂に終わり
、やむなく6月27日、海老澤君を真岡町に派遣して同地の小川國吉氏に依頼することとなり、
又、囃し方を谷浅見連と契約した」
とある。
「かくて7月1日いよいよ1375円(現在の貨幣価値に換算し275万円~412.5万円)の
祭典余興費予算案について伍長会議は開かれた」
とある。
この予算案も無事承認され、若衆総員世話人共45名によって、同夜、八雲神社において
山あげ祭りの奉告祭のブッツケを行ったと記録されている。

山あげ祭りの山の揮毫が必ずしも地元・烏山町の人の手によって行われたのではなく、
余興同様に外部からの招へいで行われたことは興味深いものであると考える。
また、お囃子もいまではもう絶えてしまった谷浅見連の名前が表れていることに、
当時はいろいろなところにお囃子連中がいたというわが師の言葉の正しさの証左を見出すことができる。

昭和8年 山あげ祭 仲町

雀さえずる那須烏山

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