山あげ祭りの「祭典の思ひ出」によると、
「7月13日までに終了せる準備の数々は次の如き夥しき項目にのぼった。
曰く、揃衣配布、花笠ドウランの製作、電工人夫の契約、屋台小屋の建設、
囃子方の契約、警察の届け出、煙火使用の許可願、演芸本部の掃除、寝具の日光浴、
浴場、炊事器具、食器燃料の準備、留守番の雇入、ハイヤー、トラック、サーチライトの契約、
氷券、囃方食券の用意、金棒曳の仕度、髪結の契約、提灯の張替、囃方の宿所寝具の用意、
澤屋裏への旗竿置場の新設、中老への監督出動への依頼、低い電線への白布の取付、プログラム掲載の広告募集、
プログラムの印刷、宣伝ポスター配布、若衆積立金の清算払戻し、役割の決定、礼状葉書の発送、
金棒曳付添人の選定、祭典中の賄ひの契約、昼食弁当の契約、各町若衆世話人との連絡、神輿出御の準備・・・
等々・・・実に枚挙に遑なく、その苦心配慮の深刻さは實に当事者ならではその100分の1をも窺い知るべからざるものであった。」
と記載してある。ここに若衆さんが山あげ祭りを成功させるために、どれほどの準備をしているのかを文字通り、
うかがい知ることが出来ると考える。
特に、先般、新聞にも掲載された通り、この山あげ祭りの「祭典の思ひ出」を記した森氏が活躍していた仲町は、
若衆不足が深刻であり広く公募している。
山あげ祭りを伝えていくために、官民挙げて活動をしている。
昭和3年 山あげ祭り 仲町 集合写真 裏書(いせに森様所蔵)