山あげ祭で「将門」を含め常磐津所作狂言が今日まで多く上演されている理由はなぜなのでしょうか。
Youtubeの佐一さんの投稿の山あげ祭の将門の画質が良かったので、ご紹介します。
管理人の師匠である常磐津津太夫先生は、水戸における常磐津の太夫の活躍がその一つであると指摘されています。
江戸で事情があって水戸へ下向した常磐津の太夫が稽古場を開きそこから茨城県内各地に常磐津の流行が伝播して伝わったというものです。
常陸大宮壽賀家、久慈浜山水荘、笠間太田家、馬頭三浦屋など近在の踊り一座で常磐津が習得された結果、烏山にも伝播して来たのだろうと管理人は推察しております。
水戸の太夫について調査したく水戸市に連絡をしましたが、わからないとの回答を得たため、それきりになっているのが現状です。
管理人も課題が山積みですが、少しずつ調査して公開してまいります。