「戻橋」
あらすじ
それ普天の下 卒土の濱 王土にあらぬ処なきに
と天の覆う限り地の続く果て天子の御代ではない処はないとまで言われた御代の卯月の頃、洛中に妖怪が住み睦月の頃より人を食らっていたという。 源頼光はねんごろとなっていた惟仲卿(平惟仲)の姫君へ頼光四天王の一人といわれた渡辺源次綱(綱)を使いに出した。 その帰り路、小川と若狭川の流れが一つとなる一条の戻り橋を通りかかった。
武威逞しき我君も恋は心の外にしてかねがね語らひ給ひたる惟仲卿の姫君へ密々の仰蒙りて・・・ 早く立帰り彼の御方(惟仲卿の姫君)のご返事を我が君へと申し上げん
と従者左源太・右源太と過ぎようするときに一吹きの風が吹き荒れ柳の枝も騒がしく不穏な空気が漂っていた。 ふと振り返るとたたずむ女の姿。不信に思った綱が家来に耳打ちし遠ざける。 女は早百合(小百合とも)と名乗り、
五条の邊り(わたり)へ参りまするが唯一人故夜道が怖くここに佇み居りました
という。綱が見送ろうとしたそのときに折からの雲が晴れて月の光が水に映した早百合の姿は鬼女であった。 やがて雨に見舞われ樹木の下で雨宿りをしながら綱が女に素性を問うと父は五条の扇職人であり幼い頃より舞を教わり、 某御所にて宮仕えをしていたという。綱が舞を所望すると女は扇を借り受けて
空も霞みて八重一重 桜狩りする諸人が 群れつつ此所へ清水や 初瀬の山に雪と見し 花の散りゆく嵐山 惜しむ別れの 春過ぎて夏の初めに遅れにし 花も青葉に更衣樹木の翠の美しや
と舞を披露する。女はかねてより綱の正体を存じており
恋しく思う殿御故疾くより存じて居りまする
と誘惑しようとする。
お情け深きお心に今宵見えし妾さえ (お情け深いあなたのお心に、今晩初めてであった私でさえ) 縁を結ぶ露もがな迷う恋路の初蛍 (縁を結ぼうという露のようである。迷う恋の道の初蛍のように) 言いんでかねて胸焦がし若葉の闇に迷うもの (思いを伝えようとしてその重いに胸を焦がし、若葉に隠された闇に迷っている) 都女郎は取り分けて (都の女郎は特別なものとして) 姿優しき花菖蒲引きつ引かれつ澤水に袖も濡れしことならん (その姿は優しき花菖蒲のようである引き合いながらも澤水に私のそれもぬれるでしょう)
御身が我名を存ぜしは妖魔の術であろうがな
と正体を見破られる。女はたちまち憤怒の相を顕す。綱より密命を受けて後を付けていた左源太・右源太が組み付こうとするも振り払い、 大立ち回りとなる。
我は愛宕の山奥に幾歳棲みて天然と業通得たる悪鬼なり
と正体を車輪の如く大きな目を見開き炎を吹きながら綱を隠れ家に連れ去ろうとする。 綱の襟髪を掴み虚空へと舞う悪鬼の姿。 綱が「髭切りの太刀」を抜き悪鬼の腕を切り払うと悪鬼は光を放ちながら雲の中に消えていくのであった。
成立 †
最初は素浄瑠璃として作られたが、後に五世尾上菊五郎の懇望により舞踊化された。渡辺源次綱の鬼退治伝説を脚色したもの。
作者 †
河竹黙阿弥作詞 五世岸澤式佐作曲 初世花柳壽輔 振付
初演 †
一八八九(明治二二)年 新富座(素) 一八九〇(明治二三)年十月 歌舞伎座
上演時間 †
約50分
常磐津松尾太夫のSPレコード音源がありますので、掲載します。