30数年前に途絶えてしまった演目
常磐津の「宗清」を上演
本名題「恩愛瞔関守」
1828年(文政11)11月江戸市村座初演
あらすじ
源義朝(みなもとのよしとも)の側室常盤御前(ときわごぜん)は平家の手から逃れるために、今若、乙若、牛若の三人の幼子を連れて雪中を大和国に向かっていた。六波羅の平清盛から「見つけ次第に源氏の血を引く子供の首を討て」と関を守り監視していた平宗清は常盤と分かるといったんは刃を向けるが、平重盛が建てた制札「松を手折って松を助く」という謎かけを慮り、常盤と三人の息子を助けてやる。文楽から歌舞伎に伝わった丸本物(義太夫狂言)の一つ「一谷嫩軍記」の派生譚として常磐津の素浄瑠璃として作られ伝わっている。また、現東京渋谷の常盤松は常盤御前が植えた松に因んで名付けられたという。
ちなみに、この当時まだ乳飲み子だった牛若丸(のちの源義経)は、一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき・文楽・歌舞伎)では立派に成長し配下熊谷直実に「一枝を切らば一指を切るべし」との謎かけを出す。熊谷は我が子を身替りに立てて首実検にそなえ、破った平家の公達「敦盛」の命を助けた。これは幼きころ敵方である平家に助けられた事を覚え感謝している義経の気高い武士の志があったからこそである。(「常磐津小文字太夫のホームページ」より)
常磐津松尾太夫の音源がありましたので、掲載します。