山あげ祭り年表
西 暦 | 和 暦 | 当番町 | 主な芸題・記録 |
2023年 | 令和5年 | 金井町 | 「将門」その他「戻り橋」。「関の扉」を毎日最終公演に上演する。( |
2022年 | 令和4年 | 元田町 | 「将門」その他「蛇姫様」(山あげ保存会芸能部)新型コロナウィルスにより若衆や芸能部にクラスターが発生し、新聞に取り上げられる |
2021年 | 令和3年 | 日野町 | 「吉野山狐忠信」その他「将門」(山あげ保存会芸能部)新型コロナウィルス流行に伴い、無観客開催となる |
2020年 | 令和2年 | 日野町 | 新型コロナウィルス流行に伴い中止 |
2019年 | 令和元年 | 鍛冶町 | 「戻橋」 その他「将門」「蛇姫様」(山あげ保存会芸能部) |
2018年 | 平成30年 | 泉町 | 「将門」 その他「蛇姫様」「吉野山狐忠信」(山あげ保存会芸能部) |
2017年 | 平成29年 | 仲町 | 「戻橋」 その他 「将門」「乗合船」(山あげ保存会芸能部) |
2016年 | 平成28年 | 金井町 | 「将門」 その他「蛇姫様」「戻橋」(山あげ保存会芸能部) |
2015年 | 平成27年 | 元田町 | 「将門」 その他「蛇姫様」「乗合船」(山あげ保存会芸能部) |
2014年 | 平成26年 | 日野町 | 「将門」 その他「吉野山狐忠信」「蛇姫様」「太々神楽」(山あげ保存会芸能部) |
2013年 | 平成25年 | 鍛冶町 | 「戻橋」 その他「将門」「吉野山」「蛇姫様」(山あげ保存会芸能部) |
2012年 | 平成24年 | 泉町 | 「将門」 その他「梅川」「宮原八幡宮太々神楽」(山あげ保存会芸能部) |
2011年 | 平成23年 | 仲町 | 「戻橋」 その他「戻橋」「梅川」「将門」「絵日傘」(山あげ保存会芸能部) |
2010年 | 平成22年 | 金井町 | 「将門」 その他「戻橋」「梅川」「蛇姫様」(山あげ保存会芸能部) |
2009年 | 平成21年 | 元田町 | 「将門」 その他「梅川」「吉野山」「蛇姫様」(山あげ保存会芸能部) |
2008年 | 平成20年 | 日野町 | 「将門」(山あげ保存会芸能部)この年、芸能部で混乱が起こる。 |
2007年 | 平成19年 | 鍛冶町 | 「戻橋」(山あげ保存会芸能育成部) |
2006年 | 平成18年 | 泉町 | 「将門」 那須烏山市発足記念全町屋台パレード(山あげ保存会芸能育成部) |
2005年 | 平成17年 | 仲町 | 「戻橋」 全会場に桟敷席が設置される(山あげ保存会芸能育成部) |
2004年 | 平成16年 | 金井町 | 「将門」(山あげ保存会芸能育成部) |
2003年 | 平成15年 | 元田町 | 「将門」(山あげ保存会芸能育成部) |
2002年 | 平成14年 | 日野町 | 「将門」(山あげ保存会芸能育成部) |
2001年 | 平成13年 | 鍛冶町 | 「戻橋」(山あげ保存会芸能育成部) |
2000年 | 平成12年 | 泉町 | 「将門」 2000年ミレニアム記念全町屋台パレード(山あげ保存会芸能育成部) |
1999年 | 平成11年 | 仲町 | 「戻橋」(山あげ保存会芸能育成部) |
1998年 | 平成10年 | 金井町 | 「将門」 元田町御拝修復完了(山あげ保存会芸能育成部) |
1997年 | 平成9年 | 元田町 | 「将門」 その他「蛇姫様」(※初演)(山あげ保存会芸能育成部)祭礼期日七月第四土曜日を含む三日間に変更 |
1996年 | 平成8年 | 日野町 | 「将門」 群馬県高崎市市制百周年記念公演参加(山あげ保存会芸能育成部) |
1995年 | 平成7年 | 鍛冶町 | 「戻橋」 鍛冶町御拝修復完了 国民文化祭参加(山あげ保存会芸能育成部) |
1994年 | 平成6年 | 泉町 | 「将門」(山あげ保存会芸能育成部) |
1993年 | 平成5年 | 仲町 | 「戻橋」 仲町御拝修復完了(山あげ保存会芸能育成部) |
1992年 | 平成4年 | 金井町 | 「将門」(山あげ保存会芸能育成部) |
1991年 | 平成3年 | 元田町 | 「将門」(山あげ保存会芸能育成部) |
1990年 | 平成2年 | 日野町 | 「将門」(山あげ保存会芸能育成部) |
1989年 | 平成元年 | 鍛冶町 | 「戻橋」(山あげ保存会芸能育成部) |
1988年 | 昭和63年 | 泉町 | 「将門」(山あげ保存会芸能育成部) |
1987年 | 昭和62年 | 仲町 | 「戻橋」 道路上での世話人挨拶が始まる 鍛冶町旗幟複製完成(山あげ保存会芸能育成部) |
1986年 | 昭和61年 | 金井町 | 「将門」(山あげ保存会芸能育成部) |
1985年 | 昭和60年 | 元田町 | 「将門」(山あげ保存会芸能育成部) |
1984年 | 昭和59年 | 日野町 | 「将門」(山あげ保存会芸能育成部) |
1983年 | 昭和58年 | 鍛冶町 | 「将門」(山あげ保存会芸能育成部) |
1982年 | 昭和57年 | 泉町 | 「将門」(山あげ保存会芸能育成部) |
1981年 | 昭和56年 | 仲町 | 「将門」 その他「梅川」(山あげ保存会踊部会) |
1980年 | 昭和55年 | 金井町 | 「将門」 その他「梅川」(山あげ保存会踊部会) |
1979年 | 昭和54年 | 元田町 | 「将門」 その他「梅川」(山あげ保存会踊部会)「国の重要無形民俗文化財」に指定される |
1978年 | 昭和53年 | 日野町 | 「将門」 その他「梅川」(山あげ保存会踊部会) |
1977年 | 昭和52年 | 鍛冶町 | 「将門」 |
1976年 | 昭和51年 | 泉町 | 「将門」 その他「梅川」(山あげ保存会踊部会) |
1975年 | 昭和50年 | 仲町 | 「戻橋」 その他「将門」「喜撰」「神田祭」(藤間三初社中) |
1974年 | 昭和49年 | 金井町 | 「将門」 その他「戻橋」「宗清」「神田祭」 (藤間三初社中) |
1973年 | 昭和48年 | 元田町 | 「戻橋」 その他「宗清」「将門」(藤間三初社中) |
1972年 | 昭和47年 | 日野町 | 「将門」 その他「梅川」「忠信」 |
1971年 | 昭和46年 | 鍛冶町 | 「将門」 その他「梅川」 |
1970年 | 昭和45年 | 泉町 | 「将門」 その他「忠信」 |
1969年 | 昭和44年 | 仲町 | 「戻橋」 その他「喜撰」「連獅子」「宗清」「鞘当」(藤間三初社中) |
1968年 | 昭和43年 | 金井町 | 「将門」 その他「梅川」「忠信(上)」「忠信(下)」 |
1967年 | 昭和42年 | 元田町 | 「将門」 その他「梅川」「忠信」(渡辺社中) |
1966年 | 昭和41年 | 日野町 | 「将門」 その他「うつぼ」「忠信」(渡辺社中)付祭仲町 祭礼期日8月20、21、22日に変更 |
1965年 | 昭和40年 | 鍛冶町 | 「戻橋」 その他「将門」「民謡踊り」「宗清」「連獅子」(藤間章三初社中) |
1964年 | 昭和39年 | 泉町 | 「将門」 その他「忠信」「宗清」「乗合」「喜撰」(内藤社中)別の資料によるとその他「梅川」「忠信」「うつぼ」 |
1963年 | 昭和38年 | 仲町 | 「将門」 (西川扇士穂社中)「国の重要民俗資料」に選択される 「山あげ祭」に改称 神輿、町廻りせず還御する |
1962年 | 昭和37年 | 金井町 | 「戻橋」 その他「山姥」「将門」「神田祭り」「宗清」「夏船頭」「忠信」「鞘当」(藤間章三初社中) |
1961年 | 昭和36年 | 元田町 | 「将門」 旧烏山町役場新庁舎落成記念屋台パレード |
1960年 | 昭和35年 | 日野町 | 「忠信」 その他「将門」「戻り駕」「つり狐」「宗清」「乗合船」「旅雀」「さや当」(常陸大宮壽賀家)八雲神社鎮座四百年総祭(付祭全町)付祭仲町「戻橋」「将門」「夏船頭」(宇都宮三浦屋社中)付祭鍛冶町「須磨の浦」「将門」(石川扇祥社中)付祭金井町「勢獅子」「将門」(金口金彌社中)
付祭泉町「宗清」「将門」(内藤社中) |
1959年 | 昭和34年 | 鍛冶町 | 「将門」 その他「新作民謡踊集」(藤間三初社中)「栃木県重要文化財」に指定される |
1958年 | 昭和33年 | 泉町 | 「戻橋」 その他「将門」「どんつく」「法界坊」「釣狐」「戻駕」「鞘当」「旅雀」「喜撰法師」「忠信」「乗合船」(常陸笠間太田家)神輿飾綱新調付祭金井町(剣舞と新舞踊)付祭仲町「戻橋」「将門」「曽我兄弟」「夏船頭」「鞘当」他(宇都宮三浦屋社中) |
1957年 | 昭和32年 | 仲町 | 「将門」「戻橋」「どんつく」「戻駕」「旅雀」「三つ面子守」(常陸笠間太田家) |
1956年 | 昭和31年 | 金井町 | 「宗清」 その他「将門」「忠信」「山姥」「梅忠」「鞘当」等
この年に公開された東映映画「ラドン」のヒットを受け、大山からラドンが飛ぶという演出がなされる。 |
1955年 | 昭和30年 | 元田町 | 「大瀧夜叉」(※「将門」の異聞) 泉町御拝塗上完了 |
1954年 | 昭和29年 | 日野町 | 「忠信」 (清元「幾菊蝶初音道行」を常磐津に改編したもの) その他「将門」「山姥」「うつぼ猿」「戻駕」「つり狐」「宗清」「乗合船」「桜川」「旅雀」「おかる勘平」「さやあて」「神田祭」付祭仲町「将門」 |
1953年 | 昭和28年 | 鍛冶町 | 「戻橋」 その他「将門」「うつぼ」「宗清」「どんつく」「法界坊」「釣狐」「山姥」「戻駕」「梅忠」「おかる」「鞘當」「元禄花見踊」(常陸笠間太田家)付祭仲町「将門」 |
1952年 | 昭和27年 | 泉町 | 「将門」 八雲神社宗教法人となる神輿修理付祭仲町「戻駕」(常陸笠間太田家) |
1951年 | 昭和26年 | 仲町 | 「紅葉狩」 町から補助金が出るようになるその他「将門」「神田祭」「京人形」「三面子守」「独楽」「鞍馬獅子」「関の扉」(東京坂東三代親他) |
1950年 | 昭和25年 | 金井町 | 「宗清」 泉町旗幟新 |
1949年 | 昭和24年 | 元田町 | 「靭猿」(常磐津「花舞台霞猿曳」)付祭仲町「梅川忠兵衛」(玉幸社中) |
1948年 | 昭和23年 | 日野町 | 「宗清」(常磐津「恩愛値瞶関守」 |
1947年 | 昭和22年 | 鍛冶町 | 「将門」 八雲講社結成 天王建は自町で行う(舞台のみ) 奉告祭が始まる付祭仲町「つりぎつね」(笠間太田屋) |
1946年 | 昭和21年 | 泉町 | 御仮殿を泉町に建て異変が起こる |
1945年 | 昭和20年 | 仲町 | 7月21日社前祭のみ挙行 |
1944年 | 昭和19年 | 金井町 | 渡御のみ奉仕(当番町) |
1943年 | 昭和18年 | 元田町 | 渡御のみ奉仕(当番町) |
1942年 | 昭和17年 | 日野町 | 必勝を祈願して各町屋台のみ繰り出す(元田町は受当番のため不参加) |
1941年 | 昭和16年 | 鍛冶町 | 戦争で祭礼中止 代わりに3円奉納(当番町) |
1940年 | 昭和15年 | 泉町 | 戦争で祭礼中止 代わりに大太鼓を奉納(当番町) |
1939年 | 昭和14年 | 仲町 | 戦争で祭礼中止 代わりに参道を舗装する(当番町) |
1938年 | 昭和13年 | 金井町 | |
1937年 | 昭和12年 | 元田町 | 神輿舎兼祭具格納庫建設 |
1936年 | 昭和11年 | 日野町 | 付祭仲町「宗清」(常陸太田若小磯) |
1935年 | 昭和10年 | 鍛冶町 | 付祭仲町「関の扉」日野町「将門」金井町「釣狐」 |
1934年 | 昭和9年 | 泉町 | 付祭仲町「将門」「戻橋」「梅忠」「山姥」「双面」「どんつく」「鞘当」「関の扉」(常陸太田若小磯) |
1933年 | 昭和8年 | 仲町 | 「紅葉狩」 その他「将門「戻り駕」「法界坊」「梅忠」(梅川忠兵衛=梅川か?)「釣狐」「忠信」「関の扉」(東京カブキヤ連藤村小鶴一行) |
1932年 | 昭和7年 | 金井町 | 日野町旗幟新調 福佐楼廃業届提出、旭遊郭消滅 |
1931年 | 昭和6年 | 元田町 | |
1930年 | 昭和5年 | 日野町 | 日野町屋台完成 |
1929年 | 昭和4年 | 鍛冶町 | 付祭仲町「千本桜」(おそらく「義経千本桜」)「将門」「曽我」「乗合」「関の扉」(馬頭東洋館) |
1928年 | 昭和3年 | 泉町 | 付祭仲町「戻橋」「神田祭」「角兵ヱ」「岸の柳」「関の扉」「三社祭」(東京西川扇五郎一座)…初めて祭礼のポスター、パンフレットを作成 屋敷町旗幟新調 |
1927年 | 昭和2年 | 仲町 | 「蜘蛛の糸」(常磐津「蜘蛛糸梓弦」) |
1926年 | 昭和元年 | 金井町 | 「八犬伝」(おそらく常磐津「八犬士誉勇猛」) |
1925年 | 大正14年 | 元田町 | 付祭鍛冶町 仲町御拝塗上完成 |
1924年 | 大正13年 | 日野町 | |
1923年 | 大正12年 | 鍛冶町 | 付祭仲町「将門」(馬頭東洋館) |
1922年 | 大正11年 | 泉町 | 付祭金井町…常磐津興行(演目不詳)…踊りは福佐楼(烏山旭遊郭の店)連中 |
1921年 | 大正10年 | 仲町 | 「小倉山」 屋敷町で山あげ実施(返礼として屋敷町では武者行列を実施)その他「だんまり」(馬頭町新川家) |
1920年 | 大正9年 | 金井町 | |
1919年 | 大正8年 | 元田町 | |
1918年 | 大正7年 | 日野町 | |
1917年 | 大正6年 | 鍛冶町 | |
1916年 | 大正5年 | 泉町 | 八雲神社指定村社となる |
1915年 | 大正4年 | 仲町 | 「吉野山」その他「新田義貞」「太刀投げ」大正天皇即位記念総祭(地元) |
1914年 | 大正3年 | 金井町 | |
1913年 | 大正2年 | 元田町 | |
1912年 | 大正元年 | 日野町 | 八雲神社村社となる 日野町祭礼初当番 |
1911年 | 明治44年 | 鍛冶町 | |
1910年 | 明治43年 | 泉町 | 金井町御拝の人形縮小 この頃から手踊りを専門家に依頼するようになる |
1909年 | 明治42年 | 仲町 | 「船上山」(大森氏の本では「名和長年」(地元) |
1908年 | 明治41年 | 金井町 | 泉町御拝彫刻完成 |
1907年 | 明治40年 | 元田町 | 鍛冶町屋台完成 |
1906年 | 明治39年 | 鍛冶町 | |
1905年 | 明治38年 | 泉町 | |
1904年 | 明治37年 | 仲町 | 仲町御拝彫刻完成 |
1903年 | 明治36年 | 金井町 | 「烏山祇園祭」と称す 祭礼期日7月20、21、22日 |
1902年 | 明治35年 | 元田町 | 鍛冶町より日野町が分離独立 |
1901年 | 明治34年 | 鍛冶町 | 付祭・仲町「那智の瀧」「文覚上人」(地元) |
1897年 | 明治30年 | 八雲神社社殿新築 | |
1895年 | 明治28年 | 仲町「足柄山」(地元) | |
1893年 | 明治26年 | 仲町「住吉」(地元) | |
1886年 | 明治19年 | 正遷宮(7月24日) 鍛冶町「那須与一」 | |
1882年 | 明治15年 | 神輿新調 | |
1870年 | 明治3年 | 牛頭天王社を八雲神社と改称 祭礼が三日間になる | |
1869年 | 明治2年 | 現境内に神輿舎完成(それまでは宮原八幡宮境内に安置) | |
1865年 | 慶應元年 | 疫病が流行し牛頭天王みこしが総町を渡御する | |
1856年 | 安政3年 | 鍛冶町で会所(18坪)が建造される(烏山で初) | |
1813年 | 文化10年 | 夏越の祭礼が復活する | |
1805年 | 文化2年 | 領内に疫病が流行し藩より病難除の祈祷の命が下る | |
1797年 | 寛政9年 | 年中定式帳が書かれ祭礼の形式が統一される | |
1796年 | 寛政8年 | 鍛冶町 | 「鎌倉山花粧」 |
1793年 | 寛政5年 | 初穂料が更に半減される↑祭礼費用捻出のため富くじを始める | |
1791年 | 寛政3年 | 祭礼の仕方等で諸事倹約すべく申渡がある | |
1786年 | 天明6年 | 幕府巡検使来村のため祭礼を繰り上げ挙行する(6月16、17日) | |
1785年 | 天明5年 | 城主からの初穂料が半減される | |
1784年 | 天明4年 | 領内に五穀豊穣、風水害除の祈祷をし、お礼が全戸に配布される | |
1783年 | 天明3年 | 米価が高騰し祭礼余興(角力)中止となる | |
1762年 | 宝暦12年 | 赤坂町 | 「会稽白旗寿柱礎」「頼朝清盛」 |
1761年 | 宝暦11年 | 金井町 | 九代将軍家重公薨去のため諸国祭礼停止令 10月渡祭礼(渡御)のみ奉仕 |
1759年 | 宝暦9年 | 元田町 | 「神変栄耀剣」「義経静人形」…この祭礼は命により人形で行う |
1757年 | 宝暦7年 | 鍛冶町 | 「竜虎の武勇寿源氏」 この年より城主から金1分5匁を賜る |
1755年 | 宝暦5年 | 中町 | 「和訓伝受女石公」…仕掛屋台復活 |
1753年 | 宝暦3年 | 赤坂町 | 「新道場寺二輌車」 |
1751年 | 宝暦元年 | 金井町 | 牛頭天王が正一位になる 「大平金峯山」 |
1749年 | 寛延2年 | 元田町 | 「川中島武田信玄」 |
1747年? | 延享4年 | 鍛冶町 | 「富館三ツ之名香」 総彫刻屋台が完成する以後仕掛屋台中止 |
1745年 | 延享2年 | 中町 | 「頼政両面鑑」…所作屋台が座敷と替わる。屋台上は黒雲と替わる |
1743年 | 寛保3年 | 赤坂町 | 「大佛供養女景清」…屋台が替わり大仏殿となる |
1741年 | 寛保元年 | 金井町 | 「万戸将軍」…仕掛屋台廻し、座敷、又廻し唐舟となる |
1739年 | 元文4年 | 元田町 | 「本田吉光」 |
1737年 | 元文2年 | 鍛冶町 | 「鎌足二度咲の藤」 |
1735年 | 享保20年 | 中町 | 「日本武尊」 |
1733年 | 享保18年 | 赤坂町 | 「橋姫紅梅鏡」 |
1731年 | 享保16年 | 金井町 | 「義経宝剣揚」…屋台は上下ともに龍宮仕掛 |
1729年 | 享保14年 | 元田町 | 「田原藤太秀郷」 |
1727年 | 享保12年 | 鍛冶町 | 「羅生門渡辺綱」…仕掛屋台が門に替わる |
1725年 | 享保10年 | 中町 | 「神功皇后三韓責」…屋台崩しが始まる |
1723年 | 享保8年 | 赤坂町 | 「吉備大臣遣唐使」…屋台は唐の城の三階魯二階門 |
1721年 | 享保6年 | 金井町 | 「藤壺の女御」「源頼光四天王」…鷲を屋台の山より舞台へ飛ばす |
1719年 | 享保4年 | 元田町 | 「平惟持紅葉狩」…屋台は戸隠山、山崩しの仕掛 |
1717年 | 享保2年 | 鍛冶町 | 「舎那王丸」…屋台の上は鞍馬山、舎那王、唐獅子に乗せ山より下ろす |
1715年 | 正徳5年 | 中町 | 「平親王将門」…大山仕掛で秀郷が百足退治をする |
1713年 | 正徳3年 | 赤坂町 | 「悪七兵衛景清」 |
1711年 | 正徳元年 | 荒町 | 「龍宮枕伝受」…屋台前に龍宮、大波、橋、大蛇が出る 奴踊これ以降中止 |
1709年 | 宝永6年 | 元田町 | 「山姥艶白粉」(初めて女形登場)…屋台は総岩山 |
1707年 | 宝永4年 | 鍛冶町 | 「天武天皇大友大皇」…屋台は総山造 大切りは蔵王権現の神霊 |
1705年 | 宝永2年 | 中町 | 「菅丞相」…屋台の上の山は総黒雲、大切りは雷電 子供踊、奴踊 |
1703年 | 元禄16年 | 赤坂町 | 「源頼政」 子供踊、奴踊 |
1701年 | 元禄14年 | 荒町 | 「源頼光四天王」…仕掛屋台は総岩山 子供踊 脚立製作 |
1699年 | 元禄12年 | 元田町 | 「源牛若丸」「伊勢三郎義盛」「熊坂」 指南=江戸駒井小九郎 子供踊初 仕掛が加わる |
1697年 | 元禄10年 | 鍛冶町 | 所作(二、三人)、奴踊 |
1695年 | 元禄8年 | 中町 | 所作(二、三人)、奴踊(2行30人余) 指南=坂東又太郎 |
1693年 | 元禄6年 | 赤坂町 | 所作「猿若狂言」(三、四人)、奴踊、二人せりふ |
1691年 | 元禄4年 | 荒町 | 所作「猿若狂言」(三、四人)、奴踊、二人せりふ |
1689年 | 元禄2年 | 元田町 | 所作「猿若狂言」(三、四人)、奴踊、二人せりふ |
1687年 | 貞享4年 | 鍛冶町 | 天王祭礼 |
1685年 | 貞享2年 | 中町 | 所作(二、三人)、奴踊、日傘踊(2行30人余)、二人せりふ |
1683年 | 天和3年 | 赤坂町 | 所作(二、三人)、鳥毛踊中、二人せりふ(出来がよく藩主よりお酒が下る) |
1681年 | 天和元年 | 荒町 | 所作(二、三人)、大笠奴踊(2行30人余)、立髪かつら踊、二人せりふ |
1679年 | 延宝7年 | 元田町 | 赤坂町で黒染子持筋30人分製作 所作(二、三人)、奴踊(2行30人余) |
1677年 | 延宝5年 | 鍛冶町 | 立髪鬘30人分製作 奴踊(2行30人余)、立笠おどり |
1675年 | 延宝3年 | 中町 | 五町とも蹈板(舞台)を制作 所作(二、三人)、奴踊(大勢) 装束浴衣染帷子 |
1673年 | 延宝元年 | 赤坂町 | 五町相談のうえ屋台を制作 所作(二、三人)、奴踊(二十人余) |
1671年 | 寛文11年 | 荒町 | 赤坂町で祇園差(祭礼準備貯金)を始める(一軒鐚一文宛) |
1669年 | 寛文9年 | 元田町 | 地踊所作 出し獅子、花籠、母衣武者、大名手振奴 |
1667年 | 寛文7年 | 鍛冶町 | この年より祭礼が隔年となる 躍興行(地躍り) 浴衣染帷子(常陸大宮) |
1666年 | 寛文6年 | 中町十文字に土盛り、石垣構築、社殿造営 |